ゆうかり文庫(出版情報)
大江戸秘密指令3 お殿様の出番
出版日2023年10月26日発行者二見書房 著者伊丹 完 (飯島一次・高24期)
町場の長屋を根城に貧しくも健気に生きる人々を食い物にする悪人たちを、チームで掃除に邁進する姿を明るく描く、書き下ろし長編物語
長屋の店子で世直し隠密の一人、橘左近はガマの油を売る湯島天神で若い娘が男に包丁で切りかかられるのを助ける。そこには危険な南蛮煙草が絡んでいた。男は老舗菓子屋の倅だったが、店の菓子にも怪しい噂。一方、隠密たちの元締め、藩主で老中の松平若狭介は菓子屋の主に騙されそうになるが、そこには黒幕が…。そこで若狭介は自ら悪人成敗に乗り出すのだった。
伊丹 完 (飯島一次・高24期)
1953年、大阪府生まれ。八尾高校卒業後、大阪芸術大学舞台芸術学科卒業。
日本歴史時代作家協会理事、日本映画ペンクラブ幹事、日本推理作家協会会員、日本ペンクラブ会員、日本シャーロック・ホームズ・クラブ会員。
飯島一次名義で著作多数。井伊和継名義でも著作あり。
映画マニアとして知られ、落語やミステリにも造詣の深い著者が満を持して、大江戸のエンターテインメントに初挑戦。ハリウッド映画を思わせる江戸の新しいヒーローの誕生であり、大いに期待されている。執筆の合間には映画祭審査員、江戸講座講師、寄席での対談をこなし、試写室めぐりをするなど多忙な日々を送る、今もっとも注目の作家
「もの忘れの脳科学」、「脳のメモ帳 ワーキングメモリ」
出版日2014年07月20日発行者(株)講談社 著者苧阪満里子(高21期・大阪大学名誉教授)
「もの忘れの脳科学」(株)講談社 2014年7月20日発行
日常のありふれたもの忘れの多くは、認知症や記憶力の低下によるものとは限りません。記憶システムの1つワーキングメモリをうまく使いこなせていないことが原因です。もの忘れをしたから認知症ではないか…と不安に思うことがかえって悪影響になることも。もの忘れの起こるしくみや記憶力を維持する方法を最新の認知心理学をもとに丁寧に紹介していきます。
「脳のメモ帳 ワーキングメモリ」(株)新曜社 2002年7月25日発行
言語の理解や推論など高度な認知的処理は,短期・長期記憶以外にワーキングメモリの働きを考えないと説明できない。心理学や医学の学生のために,この概念の成立過程,モデル,機能,測定法,言語との関連,脳における神経的基盤までを包括的に解説。
苧阪満里子(高21期・大阪大学名誉教授)
1969年 大阪府立八尾高校卒業(高21期)
1969年 京都大学教育学部入学
1979年 京都大学大学院教育学研究科博士課程修了
1985年 大阪外国語大学助教授
2001年 同教授
2007年 大阪大学人間科学研究科教授
2016年 大阪大学名誉教授
現:大阪大学先導的学際研究機構・共生知能研究センター・招へい教授
専門:認知脳心理学
人間の記憶、特にワーキングメモリとその脳内機構について、脳波やfMRIなどの脳イメージング測定を用いて研究する。
単著書:
「高齢者の物忘れを測るーリーディングスパンテストによるワーキングメモリ測定」新曜社 (2020)
「ワーキングメモリの認知神経心理学的研究―脳波からのアプローチ」 風間書房 (1994)
木川晶夫作品集 終わりなき戦火の狭間で・・・
出版日2023年01月31日発行者木川晶夫 著者木川晶夫(高1期)
卒寿を迎えたのを機会に、生来続けてきた絵画制 作のあらましを画集として纏めました。
顧みれば私の世代は戦争の渦に巻かれながら生命を繋いできた感があります。
生後間もなく満州事変が起こり、拡大して遂には第二次世界 大戦に繋がる戦争の渦に。 日本の敗北で収まったのも束の間、 地球を巡る各地域での様々な理由による戦争の渦は断続的に続 いています。 いったい何故なのか·····、この問いを絵筆に込め 私的に表現してみたのがこの画集です。
尤も、私の所属する日本は、この半世紀、比較的穏やかに過 ごせていますが、 それでも昨今の経済情勢や科学技術等の進展から、別種の新しい紛争の種が生まれつつあるのは憂慮される ことです。
ご覧いただいて、 私の斜視的な表現に嫌気されることもある でしょうが、些かのご理解を賜れば幸いです。
木川晶夫(高1期)
1931年 (昭和6) 2月27日 大阪 八尾に生まれる
1943年 (同 18) 八尾小学校卒、府立八尾中学校入学
1945年 (同 20) 8月第二次世界大戰終了
1948年 (同 23) 府立八尾中学校5年終了。 学制改革で新八尾高等学校3年に
1949年 (同 24) 新八尾高等学校卒業 関西学院大学経済学部入学(後、商学部へ)
1953年 (同 28) 関西学院大学卒業、コクヨ株式会社 (当時) 黒田国光堂) 入社
1981年 (同 56) 同社取締役
1991年 (平成3) 監查投
1995年 (同 7) 監查投退任 退社
趣味歴
1946年(昭和21)頃 美術学校(現京都芸大) 受験のためデッサンの勉強を始めるが、受験は親の反対により断念
1949年 (同 24) 関学大、絵画クラブ (弦月会) 入部 新制作協会 伊藤嗣郎先生に師事
1953年 (同 28) コクヨ社内で美術クラブ (水陽会)を有志で立ち上げる 以来、毎日新聞社主催の日曜画家展、団体の部に当初から参加
コクヨ水陽会は現在までに個人大賞3回、団体大賞5回ほか多数の受賞者を生
み出している
1970年 (同 45) 学生時代の仲間と共に (Q月会)を結成、毎秋季 恒例の美術展
を開催、現在50回に及んでいる
1998年(平成10) 二紀展 (公募) に出品 以後2003年まで連続入選 以後、病を得て、出品は停止
スポーツ歴
1967年(昭和42) コクヨ社内でバスケットボール部が創設されたのを機会にマネージャーとして参加約8年間
1986年(昭和61)頃 ジョギングを始める。 同年12月の河内長野市民マラソン 11kmを皮切りに、 2015年の60回記念 10km出場まで、公式ハーフ以上で57回 (内フルマラソン 以上29回、海外7回)
※自己ベスト3’ 22" 28" (1996年 尼崎国際ユニセフ杯フルマラソン)
※最長距離 100km(しまなみ海道)
愛の松原~華やかな歌劇の陰に埋もれた宝塚の原風景~ 他2冊
出版日2020年03月01日発行者みんなのたからづかマチ文庫 著者寺山那智子(高6期/宝塚学博士の会・面白発見グループ)
宝塚学博士の会・面白発見グループによる”みんなのたからづかマチ文庫”の第3号。
第1号「山崎家に伝わる宝塚の話(2017年4月発行)」・第2号「江戸時代の宝塚を旅する~摂津名所図会に描かれた宝塚は今~(2018年6月発行)」とともに(公財)宝塚市文化財団の協力を得て編集・発行。
”2章.(4)宝塚グランドホテル”の項を担当、父に連れられて訪れた事や親族との会食等思い出深い場所を関係者に取材し、調べ上げて執筆。
また”4章.壽温泉と旅館壽楼”の項では現在ではほとんど見られない珍しい壽温泉の泉源の間欠自噴の撮影に成功。
寺山那智子(高6期/宝塚学博士の会・面白発見グループ)
昭和10年(1935年)5月紀州生まれ。
甲子園に居住し鳴尾国民学校へ入学。その後4年生で三重県大原村国民学校へ転校。
父が昭和20年7月マニラ勤務中、現地招集を受け戦病死したため、昭和21年5月母・弟たちと老原に転居し龍華国民学校へ転校。
父の死を受け、母が急遽美容師資格を取得し、美容院を営むことになったので、自身も高校2年在学中に美容師免許を取得。
卒業後直ちに家業に専従、母の他界後も平成12年(2000年)11月まで美容室を営み、その後宝塚に移住し現在に至る。
28才で砂丘会・赤松柳史先生に入門し俳画を学ぶ。
その後藪本積穂先生に師事し、平成20年5月全日本積穂俳画協会の指導免許を授与される。
ゆうかり展(八尾高卒業生美術展)にも出展。
宝塚に移り住むようになり宝塚文化財団が実施する「宝塚学検定試験」を受け4回以上合格すると認定される「宝塚学博士」として宝塚の魅力を引き出す活動を続ける。
改訂版 漢字に仏性あり 安以宇衣於物語の世界観と思想
出版日2023年08月06日発行者小学館スクウェア 著者観羅離庵(本名 吉井功・高11期)
すべての漢字には神仏の精神が宿っている。 日頃から慣れ親しんでいる漢字の一字一句の由来を追求し、それぞれの文字が持っている生命力や意味を自然科学や哲学の領域にも立ち入りながら、新たな漢字の世界を紹介。 安以宇衣於や、零、壱、二、三・・・の漢数字に隠された仏教思想を解き明かしていきます。
観羅離庵(本名 吉井功・高11期)
観羅離庵(かんらりあん)
1940年大阪上六石ヶ辻生まれ。
幼少より誇大妄想家。三度の死に直面。
戦後、八尾市に移住。
成法中学1期生。
同志社大学卒業後、近畿相互銀行(現 関西みらい銀行)入行。
退職後に、掛軸「安以宇衣於」に出会い、以後漢字のとりことなる。
著書に『私譯般若心経』(近代文芸社 1994年)、『漢字に仏性あり 安以宇衣於物語』(小学館スクウェア 2000年)がある。