日本合唱の父(生みの親)
オペラ「修善寺物語」で文部大臣賞 清水 脩氏 (中30回)
清水は明治44年、天王寺の佛足寺に生まれ、幼少のころより「雅楽」に親しみ(注1)小学校6年のころに山田耕筰の日露交換交響楽大演奏会に刺激されて、音楽への情熱をかきたてられます。
八尾中学(注2)から、大阪外国語学校フランス語科に進学、卒業後一時、阪大病院に職員として就職しますが、音楽へのおもいを断ち切れずに、東京音楽学校選科作曲部で作曲を学びます。
(注1)この幼少時の経験が、後の清水の作曲活動に活かされることとなります。
(注2)当時の旧制中学は「音楽」の時間もまともにはなく、講堂にオルガン1台だけという状況で、音楽などやるものは男のくずだと言われたものです.しかし、このような中でも清水の音楽への情熱は消えることはありませんでした。
清水は成績も良くまた剣道の名手でもあり、まさに「文武両道」そのものでした。
昭和14年に管弦楽曲「花に寄せたる舞踏曲」で第8回音楽コンクール作曲部門第1位入賞の栄に浴します。さらに昭和26年には「インド旋律による楽章」を、29年にはわが国オペラの最大で、最も優れた作品といわれる「修善寺物語」を作曲(文部大臣賞)、49年には長田秀雄原作のオペラ「大佛開眼」48年には「吉四六昇天」(注3)と多くのオペラ作曲を手がけています。
そしてこの間文部大臣賞のほかに、毎日音楽賞、大阪市民文化賞、山田耕筰賞などを受賞しています。
注3.13年度の八尾高塾第5回(1月12日)は大阪音大名誉教授桂直久氏-「吉四六昇天」の演出者-を招いて、「清水脩と吉四六昇天」と題して講演とビデオ上映を行いました。
オペラ以外にも「親鸞」「蓮如」「歎異抄」などの佛聖歌の大作、「智恵子抄」「奥の細道」「月光とピエロ」(堀口大学の詩)などの歌曲、合唱曲など多岐にわたっています。
そして清水は、合唱団の育成、合唱音楽の普及に尽力。日本プロ合唱団連盟委員長、日本合唱協会代表をつとめるなど文字通り、日本合唱の父(生みの親)と呼ばれています因みに「東京オリンピック讃歌」(佐藤春夫作詞)も清水の作曲によるものです。
なお著書も「わがオペラの軌跡」「ベルリオーズ回想録」「標準音楽通論」など多数あります。
また、清水は八尾高OBとして昭和27年に母校を訪れ「どのようにして曲を生み出すか」と題して講演。さらに、昭和50年の母校80周年記念式典では、「日本合唱協会」の記念演奏並びに合唱団と在校生全員による大合唱の指揮をとっています。
そして現在、八尾高生は偉大な先輩、清水の功績をしのびながら文化祭や「八尾高校夢のコンサート」などで清水作曲の合唱曲をとりあげ発表しています。